Une nuit sur le Mont Chauve 1933
アレクセイエフが発明したピンスクリーンは、ピンの影だけで像が形つくられるので、写真機で映し出された像の様に、光と影だけの存在が、スクリーンに確かな形として映し出される。それも現実の光の反映の写真とは違って、あくまで人が描いた、空想上の「像」が実存している。実際のピンスクリーンを見るととても不思議な印象を受ける。その画像は、光がないと存在せず、光をあてると浮き上がってくるのだ。
先日、20年代の伝説の映画『魔女』(
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アレクセイエフの『禿山の一夜』も、不鮮明な画質も作用して、風に吹かれた案山子が突然、意志をもって動き出したり、陰影の深い顔がぐにゃりと変形したり、ムソルグスキーの同名音楽からインスピレーションを得た闇夜の魔物の集会を、目に見える像として実態化した映像そのものが、魔術的な幻想味を帯びているアニメーションだ。夜見る夢の「像」が、現実の「像」となって立ち現れる、そんな印象。目が覚めたままで見る夢。
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- 2006/09/12(火) 09:04:55|
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